「OMORI」感想

この記事にはネタバレが含まれますまだプレイしていない人は、プレイしてください。おすすめです。




「夏場は冷房への影響が少ない2Dのゲームをやろう」ということで慎重に積んでいたOMORIをプレイしたらフィナーレで大粒の涙が頬を伝い顔面がぐちゃぐちゃになったので、感想を書きます。

攻略情報を完全にシャットアウトしてプレイした結果グッドエンディングになって(いうほどグッドか?とは思うけど、少なくとも実績はそれがグッドであると主張している)、風の噂ではひきこもりルートやドラマチックなバッドエンドなどがあるそうなので、心が落ち着いたらやります。




プレイ前の感想

「これ絶対刺さるタイプのヤツだ……『精神的恐怖』タグだ……ゆめにっきとかUNDERTALEとかの系譜のヤツだ……」と思って今まで注意深くネタバレを避けて通ってきたので、プレイするまでRPGだということ自体知らなかった。数少ない事前情報としては、白黒の男の子は「オモリ」といっていわゆるキレやすい若者であるということ(ねんどろいどの商品ページで見たから)、青緑色の髪のかわいい女の子は「バジル」といって一世一代のすごい絶望顔をするらしいということ(ねんどろいどの商品ページで見たから)。

「夢」要素

どう見てもゆめにっきフォロワー(なんかトラウマを持ってるっぽい子が主人公、現実では外の世界に対して静かに首を横に振る、暗い自室で寝たり起きたりを繰り返す、夢の中では同年代の子と一緒に過ごしたり刃物でモンスターを刺殺したりする、RPGツクール製)な作品でありながら、現実パートを遠慮なくやることによって両パートの緩急が補強された正統進化の作品になっていて良いと思った。現実や夢の中での掛け合い・戦闘シーンでは完全に普通のRPGをしていているのに、急にホラーが来た時の臨場感がまったく損なわれていないところがすごい。こわい。

ゲームシステム

「タッチ」システムでいちいち写真が入るのがすごくいい。全員の組み合わせで違う写真を作るのは大変だろうに、わざわざ実装しているところに制作サイドの登場人物に対する愛をビシバシ感じるし、RPG特有の「突っ立ってるNPCとは会話できるのにパーティの仲間とは(常に背後を取られていて)話せないからキャラクターや関係性が伝わりずらい」問題を見事に解決してる。

ハングマンのシステムがプレイヤーの誘導するシステムとしてよくできてると思った。ハングマンと言われると「これ取り逃して首吊っちゃうとやり直しとかになるのかな、めんどいな」と思っていたけど、よくよく考えてみればプレイヤーが必ず通るところに正解のキーを置いていけばいくらでも「接待」ができるし進行度の目安にもなるんですよね。あとシステムとは関係ないけど、「首吊りってなにかのメタファーなのか?マリは亡くなっているらしいけど性格的に自殺することは絶対にないだろうし、単なる露悪的な要素の一環なのかなぁ」と思わせておいて実はド直球の露悪要素なので乾いた笑いが出てしまう。

ホラー要素

一般には「ホラー」として紹介されてるけど、個人的には序盤以降は怖さは感じなかった。

「あと3日」でケルに誘われてはじめて外に出たとき「あっ退廃的なひきこもり生活終わっちゃったじゃん!夢オチか?」となったけど、全然そんなことはなくて、いろいろ見えちゃいけないものが見えるし、旧友と再会するとか日の光を浴びるとかでは全然サニーの苦悩を解決できないことがわかる。で個人的に気に入ったのがサニーが一人でホビーズのポスターと戦い始めちゃったところで、「なんらかのトラウマによってずっと妄想の世界に引きこもって自分を傷つけているかわいそうな子なんだな」ということで腑に落ちたので、それ以降はずっと「だれか救ってあげて🥺」という気持ちになった。

そんなことを知る由もなかった初手ドアノックマリのときはビビり散らかしてガン無視して寝た。深夜に知っている人が声だけで呼びかけてくるの、さすがに教科書通りすぎる。こわい。

バジルくん

私は「純粋で強い恋愛感情によって精神と人生と顔がぐちゃぐちゃに自壊してしまう女の子」が大好きなので(例:「ドキドキ文芸部!」のサヨリ、「安達としまむら」の安達)、バジルくんも「あっ男の子なんですか……でもでも、現実で再会した時のなにか強いなにかを隠している表情、アルバムから垣間見えるサニーへの微妙な湿度の高さ、これは『感情』が『在る』のでは……!!!?」と歓喜した。というか、もしかしてバジルくんのな~んか不自然に強い感情がマリの死の真相に関わっているのでは、とも思った(これに関しては1割くらい合ってた、好感度が本当にサニー>>マリじゃないと普通誰か呼びに行くよね)。

でも、最後までプレイしたら可哀そうすぎてなんも言えなくなってしまった。最初お話しできることがうれしくてセリフが変わらなくなるまで何度も何度も話しかけてごめんね、その時点で刺されるレベルだったね……

最終的に見てみると、共犯者という立ち位置にいるキャラクターとして「すごくかわいい同性」は大正解だと思う。異性だったら駆け落ちエンドが発生してしまう。

「OMORI」の意味

OMORIは原案相当のブログの名前が「omori ひきこもり」だそうなので、メタ的に考えれば「オモリ」はサニーのひきこもりの擬人化ということになるだろうだけど、個人的な感想としてはオモリはひきこもりの比喩ではなくて、そのまま日本語で「重り/錘」だと思う(制作サイドで日本語のニュアンスがどこまで考慮されているかは分からない)。以下理由。

グッドエンディングでは、引っ越し前の数日間で絆を取り戻した親友たちやマリ本人の精神的な助けを借りて自分の罪を告白する決心がつく、そのままだとバジルくんも精神状態ヤバいし、というあたかもグッドエンディングな展開になる、ように見える。けれどもこれは結局サニーが意識下にしろ無意識下にしろ自分で自分に言っているだけ、しかもあろうことか何年も会ってなかった友達や自分が尊厳を傷つけた姉にしゃべらせているだけで、現実のマリは死んでるから何も言わないし、現実の友達たちもマリの自殺の意図が分からないなりにもなんとか乗り越えようとしているだけで本気で死の真相を究明していたわけではないし、バジルくんもただ苦しんでいるだけで、全体的にサニーの頭の中とはひどく乖離している。けれどもサニーは自分が背負ってた重りを突如バジル以外の全員にぶん投げて引っ越していってしまう。そういう意味ではサニーは最初から最後まで一貫して自分の頭の中にしっかりひきこもったまま。真実を心の奥に埋めている状態のサニーをプレイヤーに操作させて「昔の友達との関係を取り戻してく」という役を演じさせるのはシナリオとしてよくできてると思う。あと、内向的であるがゆえにひとりであることないこと考えすぎて最終的に周囲の人にとって斜め上の結論に着地してしまうの、わかりみが深い。

本当に自分の殻に引きこもるのをやめて周りの人の幸せを願うなら、罪を墓まで背負うことを誓って姉を亡くした弟かつ善き友人でいることに徹してバジルとも精神的に支えあう、ということもできたと思うし、(サイコパスぢからがだいぶ高いけど)それもあの極限的な状態では究極的には周囲に対して誠実な選択の一つであると思う。

でもサニーが選んだ「重り」(ゲームの紹介文の表現を借りるなら「うつ病」)を肩から下ろすという選択で少なくとも本人は救われたし、バジルも長い目で見ればたぶん救われて、他の三人が投げつけられた重りをどう見るかは本人たちが決めることでプレイヤー側に知る権利はない。このナイフで刺してくるのと抱きしめてくるのが同時に来るような余韻が絶妙なんだよな。各位(とくにサニーとバジル)幸せに生きておくれ……。